東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)187号 判決
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〔判決理由〕第一、被告人佐々木明につき
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和四四年一月九日午後九時四六分ごろ東京都文京区本郷七丁目三番一号東京大学構内安田講堂前において、いわゆる全学連革マル派に所属ないし同調する学生ら約三〇〇名が角材、コンクリート塊などを携帯して同所に集結した際、違法行為の制止および違法行為者の検挙などの任務をもつて同所に出動し、同所で右学生集団と対峙していた警視庁第四機動隊(飯野定吉隊長指揮)第二および第四中隊所属の警察官らに対し、右学生集団の中から二回投石する暴行を加え、もつて右警察官らの職務の執行を妨害したものである。
(証拠の標目)<略>
弁護人の主張に対する判断
弁護人は、警察官が、安田講堂前において総括集会を開催していたにすぎない被告人らの学生集団に対し、突如としてガス弾を発射し、被告人らが何ら抵抗することもなかつたにもかかわらず、無差別的に被告人らの逮捕行為に着手したことは警察官の職務行為の適法性を欠くものである旨主張するけれども、<証拠>によれば、警視庁第四機動隊(飯野定吉隊長以下約五六〇名)は、加藤東京大学学長代行より本富士警察署長に対し、東京大学理学部一号館にたてこもる約三〇〇名の学生がいわゆる全共闘派学生の攻撃を受け、人命に危険な状態にたちいたつたとして右学生の救助その他必要な措置をとるための出動を要請してきた旨の連絡を受け、同日午後九時四〇分ころ、警視庁第五方面本部長の命令により、違法行為の制止および違法行為者の検挙などの任務に当たるため、東大正門から構内に立ち入り、午後九時四五分ころ安田講堂前広場北側附近に至り、一部はいわゆる全共闘派学生が攻撃中の理学部一号館正面玄関方向に向かつたが、同講堂前にヘルメットを着用し、ほとんどが角材を所持したまま蝟集する約三〇〇名の学生集団を発見したため、同所附近で右学生集団と対峙するうち、右学生集団から投石がなされたことが明らかである以上、右学生集団に属する被告人らについて、後記認定のとおり、兇器準備集合罪における共同加害の目的ないしその相互認識に関する証明が十分とはいえないため、兇器準備集合罪の成立を肯認することはできないけれども、前記認定のような警察官が東大構内に出動して学生集団に対峙するに至つた経緯および学生集団の集結状況<証拠>によつても、前記認定のように学生集団の集結状況は十分に肯認することができる。)ならびに司法警察員玉井修治作成の実況見分調書により認められる安田講堂および同講堂前広場と理学部前広場と理学部一号館との隣接関係に徴すると、前記認定の警察官が右学生集団について、まさに兇器準備集合罪を犯しているものと認めるだけのやむをえない客観的事情が存在したということができるから、前記学生集団と対峙した警察官の職務執行は警察官職務執行法第五条所定の制止行為の一態様として適法であつたというべきである。なお、前掲各証拠により認められる催涙ガス弾発射の状況に徴すると、警察官による催涙ガス弾の使用が直ちに警察官執行の適法性を失わせるものとは断じ難い。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法第九五条第一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数のうち一〇〇日を右の刑に算入することとし、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判が確定した日から二年間右の刑の執行を猶予し、訴訟費用のうち証人杉山孝および同木田菅夫(二回分)に支給した分は刑事訴訟法第一八一条第一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。
第二、被告人佐々木明に対する公訴事実中兇器準備集合の点ならびに同瀬田正男、同加藤久雄、同宮本真巳、同富岡義孝、同小林春士、同細井幸夫、同井上精士、同南里知樹、同岩場敏之、同佐原茂、同塩谷篤および同木島義昭につき
(無罪の理由)
一、公訴事実の要旨
被告人佐々木明に対する起訴状の公訴事実の第二ならびに同瀬田正男、同加藤久雄、同宮本真巳、同富岡義孝、同小林春士、同細井幸夫、同井上精士、同南里知樹、同岩場敏之、同佐原茂、同塩谷篤および同木島義昭に対する各公訴事実の要旨は、「被告人らは、東京大学全学共闘会議派所属の学生ら多数とともに、かねてより同派と対立抗争を続け、同大学教育学部、経済学部および理学部などの建物に立てこもつていた「東京大学民主化行動委員会」所属の学生らを右建物から殴打・投石などにより排除しようと企て、昭和四四年一月九日午後九時ころから東京都文京区本郷七丁目三番一号東京大学構内安田講堂前および理学部化学教室前付近に右全学共闘会議派学生ら数百名が右殴打・投石などの目的をもつてそれぞれ角材・石塊などを携帯して集結した際、
(一) 被告人南里および同木島は、同日午後九時ころから同九時四六分ころまでの間、いずれも角材を所持して安田講堂前に集結した右集団に加わり、
(二) 被告人佐々木は、同日午後九時ころから同九時四八分ころまでの間、コンクリート塊を所持して安田講堂前に集結した右集団に加わり、
(三) 被告人瀬田、同加藤、同宮本、同富岡、同小林、同細井、同井上、同岩場、同佐原および同塩谷は、同日午後九時ごろから同九時五〇分ころまでの間、いずれも角材(被告人加藤は角材および丸棒、同井上は角材およびコンクリート塊)を所持して安田講堂前付近および理学部化学教室前付近に集結した右集団に加わり、
もつて他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して集合したものである。」というのである。
二、昭和四四年一月九日に至るまでのいわゆる東大紛争の経過の概要
<証拠>によれば、次のとおりの事実が認められる。
いわゆる東大紛争は、同大学医学部のいわゆる青医連問題、学生処分問題等に端を発し、東京大学の管理運営方法をめぐつて大学当局と学生との間で意見の対立を生じ、昭和四三年六月のいわゆる第一次安田講堂占拠とこれを排除するための機動隊導入を経て、受講放棄や大学の建物の占拠等全学的な学園紛争に発展したが、学生間においては、いわゆる全学共闘会議派に所属ないしは同調する学生(以下全共闘派学生という。)と東京大学民主化行動委員会に属しないしは同調する学生(以下民主化行動委員会に属する学生という。)がいわゆる学園闘争の主導権をめぐつて対立抗争を続けていた。民主化行動委員会に属する学生は、同年一二月二日になされた同大学学長代行加藤一郎の「提案」(加藤提案)に応ずる方針をとり、大学当局が提案した昭和四四年一月一〇日の全学集会(実際には七学部集会)の開催を支持し、右集会を東京大学構内で開催することを主張して、教育学部、経済学部、理学部一号館等の建物にバリケードを築いてこれを封鎖し、右各建物を占拠していた。他方、全共闘派学生は右七学部集会の開催を阻止する方針をとり、右集会開催の前日の一月九日他大学の学生をも含めて「東大闘争、日大闘争勝利全都総決起集会」(以下統一集会という。)を東京大学安田講堂前で開催することを決定した。被告人らは、いずれも右方針を支持していたもので、同日いわゆる全学連革マル派に属する学生と主として行動をともにしたものである。
三、昭和四四年一月九日における全学連革マル派所属の学生らの行動の概況
(1) <証拠略>によれば、次のとおりの事実が認められる。
(一) 全学連革マル派に属する学生らは、昭和四四年一月九日午後三時ころから、統一集会に先だち、東京大学構内法文経二号館一階教室内で、同派に所属する学生ら約三〇〇名の参加のもとに集会を開き、東大闘争の経過報告、七学部集会阻止のいわゆるアジ演説や他派の闘争方針に対する批判(いわゆる全学連中核派に属する学生らが当日教育学部、経済学部を占拠している民主化行動委員会に属する学生に攻撃を加えることは誤りである旨)等を行なつた後、リーダーの指示で集会参加者を五隊に編成し、同教室出入口で各自角材を受け取り、隊列を組んで、午後四時ころから安田講堂前の統一集会に参加した。
(二) 統一集会は、午後四時ころから安田講堂前に集合した全共闘派に属する学生約二、〇〇〇名が参加して行なわれ、各大学代表者から教育学部、経済学部の各建物および理学部一号館等を占拠している民主化行動委員会に属する学生らを実力で排除し、翌日(一月一〇日)の七学部集会の開催を阻止する旨の演説がなされた。右統一集会の参加者の大部分はヘルメットを着用し、角材等を所持していたものであり、全学連革マル派に属する学生らの隊列では集会開催中に空壜が配付され、各自これを受け取り所持した。
(三) 統一集会終了後、午後七時ころから全学連中核派に属する学生らを主とする全共闘派学生数百名は、安田講堂前から教育学部、経済学部方向に示威行進に出発し、全学連革マル派に属する学生らなど全共闘派学生約三〇〇名は他のセクトが出発した後安田講堂前からいつたん正門方向へ示威行進した後反転して、安田講堂前にもどつた後、同講堂前から同講堂東側にある学部一号館に向けて示威行進し、午後七時三〇分ころ理学部一号館正面玄関前附近路上に到着し、同時刻ころから午後八時過ぎころまで理学部一号館にたてこもつていた民主化行動委員会に属する学生ら約三〇〇名に対し投石したり、同館正面玄関のバリケードを撤去して同館玄関内廊下に立ち入るなどし、他方、民主化行動委員会に属する学生らもこれを迎えて同館屋上などから投石したり、同館二、三階から放水をくりかえしたりした。その間において、同館正面玄関前附近路上には、全学連革マル派に属する学生らのほか全学連反帝学評派に属する学生ら約一〇〇名および全学連フロント派に属する学生ら約三〇名も到着して、同館にたてこもる民主化行動委員会に属する学生らに対し投石をくりかえすなどした。
(四) 一方、同時刻ころ、教育学部および経済学部の各建物付近においても、前記全学連中核派に属する学生らを中心とする全共闘派学生らと右各建物にたてこもつていた民主化行動委員会に属する学生らとの間で投石、放水などによる両派の衝突の事態が発生し、負傷者も続出する状況であつた。
(五) 午後八時一六分、加藤学長代行は、右全学連中核派に属する学生等の投石等により経済学部の建物にたてこもる約五〇〇名の学生の人命が危険な状態にたちいたつたとして、本富士警察署長に対し右学生の救助その他必要な措置をとるための出動を要請し、午後八時二〇分ころ警視庁第四機動隊等が東大赤門などから構内に入つた。
(六) 理学部一号館前にいた全学連革マル派に属する学生らを含む全共闘派学生らは、右機動隊が構内に立ち入つたことを伝え聞き、午後八時二〇分過ぎころ、理学部第一号館に対する投石などを中止して、全員安田講堂前に引き返したが、午後八時三〇分過ぎころ、右機動隊が東大構外に撤退したとの情報をえたため、右全共闘派学生らのうち全学連反帝学評派に属する学生ら約一〇〇名は再度理学部一号館前に赴き、同館にたてこもる学生に向けて投石を加え、同館正面玄関内に立ち入つて、一階廊下に設置されていた防火扉や天井を角材、丸太などで突くなどの攻撃をくりかえした。
(七) 一方、全学連革マル派に属する学生ら約三〇〇名は、依然として安田講堂前に留まり、同安田講堂前広場北側寄りに各自角材等を所持したまま集結し、午後九時前ころから、同派のみの集会を開催した。
(八) 午後九時三五分ころ、加藤学長代行は全学連反帝学評派に属する学生等の投石等により理学部一号館にたてこもる三〇〇名位の学生の人命が危険な状態にたちいたつたとして、再度本富士警察署長に対し、右学生の救助その他必要な措置をとるための出動を要請し、午後九時四〇分ころ機動隊が正門、竜岡門および弥生門の三方向から同時刻を期して構内に入り、正門から入つた第四機動隊(飯野定吉隊長以下約五六〇名)は、工学部列品館北側を直進して、午後九時四五分ころ、安田講堂前広場北側附近に到着し、その一部は理学部一号館正面玄関方向に進行し、他は安田講堂前で角材を所持したまま集会を行なつていた全学連革マル派に属する学生と対峙したのち、右学生らを兇器準備集合罪の現行犯人と認めて右学生らの逮捕活動を開始した。
(九) 同時刻ころ、全学連革マル派に属する学生約三〇〇名は右機動隊の規制を受けて、同所から一団となつて理学部化学教室南側道路を通り、一部は同教室角を左折し、第二食堂方向に逃走した。被告人らは、いずれも右逃走の途中、安田講堂前あるいは化学教室角附近において右機動隊および竜岡門から立ち入つた第五機動隊(青柳敏雄隊長以下約五〇〇名)に所属する警察官に逮捕されたものである。
四、安田講堂前における兇器準備集合罪の成否
本件の公訴事実において、検察官は被告人らの昭和四四年一月九日午後九時ころ以降の時点における集合状態をもつて兇器準備集合罪に該当すると主張するので、この点についてさらに詳しく検討することにする。
(一) 集結の経緯
<証拠>によれば、被告人らは同日午後八時二〇分過ぎころ、理学部一号館前附近で同館にたてこもつていた民主化行動委員会に属する学生らを攻撃中に機動隊が東大構内に立ち入つたとの情報を聞知し、逮捕をまぬがれるため、直ちに攻撃を中止し、安田講堂前に全員が引き返し、同講堂前広場の北側寄りに集結し、また、全学連革マル派に属する学生らと前後して理学部一号館を攻撃していた全学連反帝学評派およびフロント派に属する学生らも攻撃を中止して同講堂前に隊列を組んで引き返した。機動隊は東大赤門などから構内に立ち入り、教育学部、経済学部の建物附近に至つたが、全共闘派学生らが攻撃を中止して、附近の建物内に逃げ込んだりしたため、立ち入り後約一〇分位経過した後、午後八時三〇分ころ学外に撤退したところ、安田講堂前付近で機動隊が構外に撤退したことを聞き知つた全学連反帝学評派に属する学生集団約一〇〇名は直ちに再度理学部一号館に出向き、同館にたてこもる民主化行動委員会に属する学生らに対する攻撃を再開し、また、経済学部、教育学部にたてこもる民主化行動委員会に属する学生らに対する全学連中核派などに属する学生らによる攻撃も同じころ再開されたが、全学連革マル派に属する学生集団は機動隊の構外撤退を伝え聞いた後も、安田講堂に設けられていたいわゆる時計台放送が経済学部の建物に対する攻撃の応援を呼びかけているような状況下であつたのに、安田講堂前に集結したまゝであつた。
(二) 集会の状況
前記四、(一)の各証拠および司法巡査寺田延雄作成の写真撮影報告書添付写真No.11ないし14ならびに司法巡査赤津八郎作成の写真撮影報告書添付写真No.7ないし12およびNo.14によると、被告人らの全学連革マル派に属する学生集団約三〇〇名は、前記場所において、午後九時前ころから同派のみの集会を開催し、同集会においては各大学の代表者数人が演説をしたが、集会はざわざわした雰囲気で参加者もおおむねリーダーの演説に終始熱心に耳をかたむけるような態度ではなく、数個所においてたき火をして寒さを凌いだり、理学部一号館からの放水で濡れた衣服を乾すなどして雑談をかわしたりしていた。右集会は二回目に機動隊が東大構内に立ち入つた午後九時四五分ころまで続いていた。
(三) 集会の性格
<証拠>によれば、右集会が当日の具体的な行動の評価をしたりするいわゆる総括集会であり、集団全体としては、集会後解散するなどして、同所から新たな具体的闘争行動を開始することにはなつていなかつた旨述べているが、小川芳孝および堀川哲の検察官に対する各供述調書によると、右集会は総括集会ではなく、集会後解散することは予定されていなかつた旨述べており、また前記認定のような理学部第一号館への攻撃を中止して安田講堂前に集結した経緯や後記認定のとおり、集会参加者が爾後の行動方針について種々の推測をしていたこと、全学連革マル派に属する学生集団を除く他の全共闘派の学生集団が現に前記各建物に対する攻撃を続行中であり、全学連革マル派に属する学生らの前記集会の参加者のうちほとんどのものが各自角材等を所持したまゝであつたことなどの事実に照らすと、前記集会が集会終了後解散することを予定した総括集会であるとは認め難く、リーダーにおいて機動隊が構内に立ち入つたことなどの状況や他の全共闘派学生集団の行動などをもとにして爾後の方針を検討したうえで、集団行動に向けて意思の一致をはかるために開催されていた集会であつたと認められる。
(四) 集会後の行動方針
<証拠>によれば、前記集会後の学生集団の行動方針について種々の推測がなされていたことが窺えるが、その主なものは、(1)集会後何をやるかわからず、ただ終りころに指示があると思つており、個人的には足も痛いし食事でもしに行こうと思つていた者(清水吉郎の検察官に対する昭和四四年一月二〇日付供述調書および第一七回公判調書中の同証人の供述部分)、(2)理学部一号館への攻撃のようなものではなく、武装デモでもするのだろうと思つていた者(小川芳孝の検察官に対する同年一月一九日付供述調書)、(3)指揮者の間で検討中、駒場へ行こうという提案も出されたが、当日の行動を総括して終わりになると思つていた者(第一四回公判調書中の証人市村倫文の供述部分および被告人宮本の当公判廷における供述)、(4)指揮者の指示がなければ、解散して翌日の七学部集会阻止闘争に備える行動に移ると思つていた者(被告人らの当公判廷における各供述)などである。他方、堀川哲の検察官に対する昭和四四年一月一九日付および同月二〇日付各供述調書、岩田重敏の検察官に対する供述調書および被告人佐原茂の検察官に対する供述調書によれば、右集会後に再度理学部一号館にたてこもる民主化行動委員会に属する学生らに対し攻撃を加える旨のアジ演説がリーダーによつてなされたことが認められるけれども、右各供述調書によれば、右リーダーの再度理学部一号館を攻撃する旨の演説は前記機動隊が安田講堂前で被告人らの集団に対する規制を開始するほとんど直前になされたものであることも明らかであつて、前記四、(一)および(二)に認定した集会の経緯および状況に徴し、また被告人宮本、同井上、同佐原、同小林および同塩谷の当公判廷における各供述により認められる行動方針の伝達状況、すなわち、当日の行動方針などの伝達は、前記三、(一)に認定した隊編成のもとで順次口伝えの方法で各集会参加者になされることに決定されていたという事情をも総合して検討すると、集会参加者全員において、集会後における学生集団の行動方針が理学部一号館に対し再度攻撃を加えることであると決定されたことを認識するまでに至つておらず、なお集会後の行動方針について前記のような種々の推測を容れる余地が多分に存する状況にあつたことが認められる。(なお、被告人佐原の前記供述調書中「リーダーの演説により集会参加者が攻撃の気勢を上げた」との部分は、前記認定の集会の状況と対照して信用し難い。)
右認定のような事実関係に徴すると、被告人らについて、理学部一号館にたてこもつていた民主化行動委員会に属する学生らに対し、前記学生集団とともに再度投石、殴打などの暴行を加えるという共同加害の目的を認識していたことを肯認するには、なお躊躇されるものがあつて、本件公訴事実中安田講堂前における兇器準備集合の部分は、この点においてまだその証拠が十分でないことに帰するというほかはない。
五、理学部化学教室前付近における兇器準備集合の成否
検察官は、理学部化学教室付近路上における被告人佐々木、同南里、同木島を除く他の被告人らの集団の行動は、統一された集団として再度理学部一号館への襲撃の途上にあつたと認めるべきである旨主張するので、この点について検討することにする。
<証拠>によれば、被告人佐々木、同南里、同木島を除く他の被告人らの集団約三〇〇名が安田講堂前から理学部化学教室と御殿下グランドに狭まれた道路を大部分のものがヘルメットを着用したうえ、角材を所持して、かけ足で直進しこ理学部化学教室角を左折し、第二食堂方向に移動したことが認められ、司法警察員中島高明作成の実況見分調書添付図面その2によれば、被告人らの移動した第二食堂方向からは理学部一号館前に前進することができることも認められる。さらに、被告人佐原の検察官に対する供述調書には、「もし機動隊に逮捕されなければ、また民青を攻撃していたと思います」との供述記載が存することも認められる。しかしながら、前記認定のとおり、被告人らの集団が安田講堂前から理学部化学教室方向に移動したのは、東大正門から立ち入つた第四機動隊の規制にあい、狼狽の余り、集団の移動する方向について具体的な指示のないまゝ一団となつて逃走したものであり、前記三、(1)に掲げる各証拠および第一七回公判調書中の証人青柳敏夫の供述部分によれば、第五機動隊が御殿下グランド東側路上を竜岡門方向から理学部化学教室方向に立ち入り、右学生集団の先頭部分が理学部化学教室角にさしかかつた際には、被告人らの学生集団はすでに化学教室角附近まで接近していたことが認められ、第八回公判調書中の証人川畑義隆の供述部分によれば、右学生集団は警察部隊を見るや二手に分れ、一部は第二食堂方向に進み、他は反転して安田講堂方向に引き返したことが認められ、さらに、理学部化学教室角に至つた状況について被告人細井は当公判廷において「……機動隊がかなりすでに来ていて、竜岡門のほうには行けない状態だつたと思うんです。したがつて前に進むか左(第二食堂方向)に曲つていくか、二つに一つであつたと思うんです。全体は左にまがつて行つたと思います。」と述べ、被告人加藤も当公判廷において「……東大病院前でいつぺん竜岡門の方向へ曲ろうとしたわけです。曲ろうとしたところが、竜岡門の方向から機動隊がかけてくるので、逆の方向、いわば理学部一号館のほうへ反転して逃げていく途中でつかまつたんです。」「先頭のほうではないんですね。比較的真ん中辺だと思います。だからぼく自身は竜岡門の方向へ曲ろうとは思わなかつたわけです。前の人についていつたので、竜岡門の方向へぼくは行つてしまつたと思うんです。それで自分が前を見たとき機動隊が走つてくるのが見えて、そのまゝぼくは逆の方向に逃げたわけです。」と述べており、被告人らの集団が第二食堂方向に左折したのは、右集団の一部が竜岡門方向からの機動隊による規制に会い、逮捕を免れようとして、第二食堂方向に逃走したためと認められる。したがつて、被告人らを含む右集団が各自角材を所持したままの集合状態をいまだ解消せず、なお継続していたことは認められるが、右集団が安田講堂前から理学部化学教室附近路上に至つたのは、再度理学部一号館にたてこもる民主化行動委員会に属する学生らに対し共同して害を加えるるために移動したものとは認められず、かえつて、ひたすら機動隊の規制をのがれる目的のみを持つて移動していたものと認められる。なお、被告人佐原の検察官に対する前記供述調書の記載も被告人佐原自身の心情を述べたものにすぎず、前掲各証拠および他の被告人の当公判廷における各供述と対比すると、右供述調書をもつて、被告人らに共同して理学部一号館を再度襲撃する目的があつたことを肯認するに足りない。してみると、この段階においても、被告人らについて兇器準備集合罪が成立したことを肯認するには、なお十分ではないといわなければならない。
六、結論
これを要するに、本件兇器準備集合の公訴事実については、安田講堂前および理学部化学教室前のいずれの段階においても、被告人らについて検察官主張のような共同加害の目的ないしその相互認識があつたことを肯認するに足りるだけの確証が十分ではないといわざるをえず、結局、被告人らについては、いずれも本件兇器準備集合の公訴事実について犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をする。
(西村法 本井文夫 石井義明は転任につき署名押印することができない)